姑の旅立つ前や旅立った後も、想定外のことがたくさんありました。
介護を終えて経験する”実家じまい”と
セミリタイアした私の”これからの人生”なども見つめていきます。
・実家じまい
・一人っ子の夫
・不用品をジモティーに
・大型家電、大型家具
・物置(倉庫)の購入
・葬儀選びの後悔、葬儀までの流れ
・これからの生き方
・姑の思い
・救いを求めて教会へ
もくじ
実家じまいのはじまり
私たち夫婦は、姑宅の近所に住んでいました。
本当にすぐ近くの場所に住んでいたので、見守る形で姑の身の回りのお世話をしていました。
姑はアルツハイマー認知症でした。
最期の2年間は、私の仕事も辞めてどっぷりと介護中心の日々でした。
退職に至る前も、姑の体調や家のことでたびたび呼び出されることが続いていました。
そのため、仕事の継続は難しかったのです。
姑がいなくなって、寂しくなりました。
でも、これから”自分の人生”を過ごすことができるかと思うと少し楽しみでもあります。
結婚してからの30年間は、一緒でした。
最後は、私が看取った姑です。
結婚したての頃や子育て期など、良いことも悪いこともすべてにおいて姑の意見は入ってきていた私の人生でした。
実家じまいに及ぶまで
姑の最期の1ヶ月間は、心不全で入院していました。
デイサービス通いのためか、インフルエンザに罹患しました。
それを機に、慢性心不全の急性増悪。
一気に弱っていきました。
それまでは、歩行器で歩けていたしオムツもしていませんでした。
それだからこそ、一人暮らしもできていたのです。
入院中は、少しずつ薬が増えていました。
病床で交わされた「車椅子を押すから、桜の花を見に行こうね」という約束は、果たされないままに旅立ってしまいました。
いつかその日が来るとは思っていましたが、その日は本当に突然でした。
一人っ子の夫
夫は、兄弟のいない一人っ子です。
そのため、夫の実家の整理は私たちがしなければいけません。
最後の入院をしていた頃、夫に「生前整理」をしていいかと尋ねました。
しかし「縁起でもない」と、なかなかOKがもらえませんでした。
「生前整理」とまではいかなくとも、退院後に介護をするにしても、施設に入居するにしても”片付け”は必要だからということで、天国へ旅立つ1週間前くらいに夫からは渋々承諾をもらって”片付け”を始めていました。
余命宣告されてからは、あっという間でした。
残された時間は、ほとんどないままお別れになりました。
そのような中でも「有給休暇がたくさん残っている」ということで、息子が1週間の休みをもらって休んでくれました。
これには、本当に助かりました。
男手があるのは、心強いです。
不用品をジモティーに
「生前整理」をしている途中から、「遺品整理」に変わりました。
それまでも日用品や衣類などは、少しずつゴミ収集の日に捨てていました。
困るのは、大型家電や大型の家具です。
大型家電
・冷蔵庫
・洗濯機
・エアコン
大型家具
・ベッド
・タンス
・テーブル
大型家具は、軽トラックで運んでゴミ焼却場で処分ができます。
しかし家電の廃棄については”大きさ”や”有料”になっているものもあって、なかなかに悩ましい存在でした。
そのような時に、ジモティーでただ同然で出品したらすぐに問い合わせが入り、持って行ってもらえました。
ジモティーへの出品は、ただ同然の値段で決断するまでにかなり悩みました。
買う時は、数万円〜10数万円するようなものです。
当然、まだ現役で使えるものばかりです。
物置(倉庫)の購入
遺品整理をしていると、大型家電や大型家具の他にもテレビやミシン、掃除機などちょっとしたものがあります。
これらも、捨てるには惜しいものばかりです。
不用品引取り業者に依頼すると、ほぼ無料で引き取ってはくれます。
全国対応の遺品整理サービス【遺品整理110番】でもまだ使えそうなものもあります。
「メルカリ出品」や後日「自分が使いたい時」や「人にあげる」など、使い道がありそうなものは物置(倉庫)にしまっておこうと思います。
「物置(倉庫)の購入」と「廃棄」とで比較しましたが、我が家の場合は購入した方が長い目で見て良さそうでした。
倉庫の購入も、近所のリサイクルショップで探してもらうことになりました。
時々ジモティーでも出品されることがあるので、近いうちに手にいれることにします。
葬儀選びの後悔
姑は、10年~数十年前から葬儀屋の互助会の会員になっていました。
ここで葬儀について私たちの段取りが良くなかったので、反省していることがあります。
姑が加入した当時の葬儀事情と、現在の事情が変わってしまっていたことです。
姑が、まだうんと若かった頃の契約でした。
今回の姑の葬儀は、私たち家族の身の丈に見合わないずいぶんと豪華な葬式になりました。
ご香典は、通夜と葬儀を全部合わせても16個でした(家族親戚、友人知人すべて)。
一人当たり、10万円近いお葬式になりました。
事前に、打ち合わせや問い合わせをしないといけない話でした。
夫には相談したのですが、どこか受け入れたくなかったのだと思います。
すべて後手後手の対応で、後悔が残るところです。
でもたとえ時間が戻せたとしても、結果は同じだったように思います。
考えたくない話です。
だから余計に、終活の大切さを思いました。
葬儀までの流れ
病院から斎場に安置されてからすぐに、葬儀の打ち合わせや見積もりの話があります。
次々に提示されるその金額に「止めます」とは言えない状況のまま、葬儀は執り行われました。
姑が望んだものです。
故人の意思が反映できたので、これはこれで良かったのだと思うようにしています。
この経験から、自分たちの葬儀や終活のことを考える良いきっかけになりました。
これからの生き方
私は姑の介護で、保育士の仕事を辞めました。
他にも事情はありましたが、退職は「私の希望」でした。
姑を、最期の最期までお世話できたことに後悔はありません。
夫も、喜んでくれていました。
夫婦共に仕事をしていたら、介護も病院へのお見舞いも、何かしら後悔が残ったのではないかと思います。
完璧とは言えませんが、その時にできる全部の力を出してお世話させてもらいました。
これからは自分のやりたいことを考えながら、生きていくことになります。
姑の思い
これまではどこかに遠出をし家を空けたり、夜が遅くなったりすると、私の携帯電話が鳴っていました。
わが家の電気が夜についていないと、不安がる姑でした。
いつも心配してくれていた人の存在が、なくなりました。
それは嬉しいことでもありましたが、少し縛られていたところも感じていました。
これからは、それがなくなります。
遅い帰宅も、何日間か家を留守にしても誰も何も言いません。
そのような世界がこれから待っているかと思うと、不安感とワクワク感とが入り混じった気持ちです。
救いを求めて教会へ
日本人は仏教の人が多く、葬儀に参列してもほぼ仏教です。
これまでこのことについて何の疑問も持っていなかった私です。
我が家も、浄土真宗です。
私たちを愛してくれていた姑の最期の時間が近づくにつれ、心の拠り所を探していました。
日々変わる病状に一喜一憂し、ジェットコースターの一番高いところで動かない最高の恐怖のなかにいるような気持ちの毎日でした。
救いを求めるかのように、アンテナを立てていたらキャッチしたのが「キリスト教」です。
それは偶然のことでした。
私と名前が一文字時違いの人が、SNS(Facebook)にいました。
同じく「姑の名前」や「年齢」や「状況」もほとんど同じで、一方的ではあるものの共感をしていました。
その中で、毎週礼拝に行っているということが書かれてありました。
それがきっかけで、生まれて初めて礼拝に参加してきました。
ここでの出会いや空間は、私に深い安堵感を与えてくれました。
美術や歴史から見る宗教
話は少しだけ違いますが、我が子は美術の学校に通っていました。
その美術の学びの中で「ギリシャ神話」や「歴史上の宗教にまつわる絵画」のことがあります。
何百年以上も前の絵画が、現代でも残されている理由がわかりました。
何百年、何千年前でも、人間の心にはこうした信仰心があるのだと思いました。
そこからずっと昔から、読んでは挫折を繰り返していた「聖書」が突然心の中に入ってきました。
灯台下暗しとは、このこと。
仏教でも、キリスト教でもなんでも良かったのかもしれません。
実際、今、猛烈に「聖書」を読んでいるわけではありません。
でも別の次元の私が、とてもよく理解しています。
”すべてを委ねる”、というような気持ちです。
「人事を尽くして天命を待つ」。
お任せします。という手放した世界です。
牧師の言葉
初めてお会いした牧師さんは、80歳過ぎの方です。
「キリスト教」や「教会」というと、怪しく思う人もいるかもしれません。
しかしながら、日本で「お寺に行く」というのとほとんど違いはありません。
50年以上、そこにある教会でした。
毎週日曜日には、牧師さんの話を聞きます。
その話しのなかで、聖書に出てくる聖地を旅した話がありました。
私も、そのような旅に行ってみたいと思うようになりました。
海外は難しいかもしれないのですが、近くの有名な教会なら行けるかもしれません。
姑のことが落ち着いたら出掛けてみたいです。
先日、姑が旅立ちました。92歳でした。
姑は、一人暮らしでした。
「実家じまい」の始まりです。