初めての喪主~介護から入院、一気に看取りへ 準備は大事~

親とお別れする日が、来てしまいました。

大切な人との「別れ」はあってほしくないことですが、生きていれば必ずその日が訪れます。

これまでは遺族として関わってきた葬儀も、自分の年齢と共に”喪主”として愛する誰かを見送る日も来るでしょう

そのような時に、慌てなくて良いよう事前の準備はとても大切なことです。

来るべき「別れ」を認められず、準備をしたくない人もいます。

でも、その日は突然にやって来るものです

備えあれば憂いなしです。

落ち着いて、準備をしましょう。

・看取りから、あっという間の葬儀

・故人の意思

・葬儀の相場

・参列者への案内

・親戚の心配り

・細々としたこと

・看取りから、あっという間の葬儀

看取りから、あっという間の葬儀

介護からの看取り
介護からの看取り

「少子高齢化」で子供の数が少なく、高齢者が多い時代です。

日本は、世界一の長寿国でもあります。

その分”介護”も、長くなっているようです。

親が長生きしてくれることは、喜ばしいことです。

ずっと、一緒にいたいと思っています。

しかしながら「出会いがあれば、別れあり」で、「別れ」の日を迎える時はやってきてしまいます。

突然の別れ

一般的な高齢者の「別れ」は、介護などを通して段階を踏んで近づきます。

80歳頃まではなんとか一人でできていたことも、年々衰えが見えるようになり徐々に介護の手が必要になってきます。

できないことが、一つずつ増えていくのです。

年齢とともにできなくなること
年齢とともにできなくなること

その延長線上に、「別れ」があります。

病院でも施設でも、亡くなる前には連絡が入ることがほとんどです

今の医学であれば、あまり余命の誤差もなくわかります。

私の実父と姑の死の日時は、ほぼ余命宣告の通りでした。

心の準備ができないまま

しかし、いくら余命を聞いても愛する肉親との「別れ」を受け入れられないこともあります。

周囲から「そろそろ準備を…」と言われても、心の準備が出来ないままでいるのです。
最後まで、奇跡が起きることを信じている人もいます。

それだと、なかなか次の準備に進むことができません。

夫の場合も、その典型でした。

葬儀後の「実家じまい」も待っているのに、まったく認めようとしませんでした。

言葉ではわかっているのに、心がついていかないようでした。
毎日、苦悩の日々を過ごしていました。

夫よりは冷静だった私は、次の段取りのことが頭に浮かびます。

故人の意思

生前の姑には、自分のイメージしていた葬式がありました。

今思うと早めに気づくべきだったのですが、「現在の葬儀」と「昔の葬儀」とを比べるといろんなことが変わっていました。

昭和一桁生まれの姑のイメージする葬儀は、今、注目される「家族葬」とはずいぶんと違っていました。

昔ながらの葬儀は、親戚、友人、知人、近所の人、職場の人など大勢の方に見送られるものです。

そのため、どうしても豪華で高額な葬儀になるのです。

姑は、90歳を過ぎて亡くなりました。

一人暮らしで親兄弟もみんないなくなり、友人たちも天国へ召されていたのが姑です。

そのため弔問客も少なく、姑のイメージしていた葬儀とはどうしても違ったものとなりました。

斎場や祭壇の大きさと、実際に訪れた弔問客のバランスがまったく合っていないお葬式になってしまいました。

葬儀屋さんの方が気を使うくらいの、少人数でした。

見通せなかった弔問客の数

故人の意思を踏まえ、なんの迷いもなくそのまま病院から亡骸を姑の希望していた斎場に安置しました。

気が付いた時は、すでに遅しでした。

もう少し前であれば、姑と意思の疎通もできたのにと思いました。

これで良かったのか、と少し悔いの残るものになってしまいました。

・葬儀の相場を考慮せず

今振り返ると、姑がいなくなる1ヶ月前頃から喪主になる夫には葬儀について色々と相談をしていました。

けれど夫の心はここにあらずで、今はまだ何もしないで欲しいということでした。

「まだ生きてるから…」というのです。

私にはどう見ても、姑が自宅に帰れるとは思えませんでした。

医師もわかってはいたはずです。
しかし、ギリギリまでストレートにいうことはありませんでした。

私が何か準備をすることは、悪意でしかないようにも映ります。

結局、準備の許しが出たのは余命宣告を受けた時でした。

その1週間後に、姑は旅立ってしまいました。

つまり準備期間は、1週間しかなかったのです。

やらなければならないことは、山のようにありました。

そして亡くなった今も、たくさんのやるべきことが残っています

今回の葬儀代

互助会の満期がありました。

初めての喪主相場
初めての喪主相場

互助会満期額の約30万円は、引かれて出された見積もり表です。

お布施の相場は、20万円〜50万円ほどで、別です。
その他に、初七日も同時にしたので3〜5万円の相場であるお布施をお支払いします。

火葬代も掛かりました。
供花も添えました。子供達は「孫一同」で花を添えました。

葬儀にお出しする「通夜振る舞い」や「精進落とし」「お斎」も用意しました。

90歳過ぎた姑の弔問客は、通夜・葬儀で16人ほど。
新聞5誌にも、「おくやみ」として掲載してもらいました。

親戚や友人、近所の方全部合わせても20人も来ませんでした。

その総額は、150万円ほど

もう少し考えるべきだったのではないかとも思いました。

でも、どうにもできないこともあります。

参列者への案内

人の命は、わからないものです。

親しい人にお知らせをしようにも明日が見えない毎日で、容態を聞かれてもなんとも答えられませんでした。

しかし余命が伝えられると、周囲へ一度に連絡を入れなくてはいけません。

初めての喪主訃報の知らせ
初めての喪主訃報の知らせ

一人一人伝えていくのですが、誰かに伝えるとその人が他の誰かに伝えて連絡が入るなどして、かなり混乱します。

親戚の心配り

姑は一人暮らしで、夫は一人っ子でした。

夫は最愛の母を亡くし落ち込んでいます。

そのため、葬儀の準備は妻である私の身にすべて降りかかってきました。

けれど幸いなことに子どもたちも手伝ってくれたので、葬儀はなんとか無事に執り行えました。

その時に、親戚の存在はとてもありがたかったです。

近所の人や友人など、気持ちはあってもなかなか葬儀の中まで入り込んで手伝ってくれる人はいないものです。

お通夜に一緒に過ごしてくれる人受付で香典を受け取ってくれる人など、通夜・葬式と2日間ですることは山のようにあります。

初めての喪主受付
初めての喪主受付

人の協力が、とてもありがたく思えました。

このような経験を踏まえ、事前の準備は本当に大事だと思いました。

準備をすることが無駄になってでも、準備は大切です。

細々としたこと

臨終を迎え、あっという間に葬儀の準備になります。

私も私なりに事前にシミュレーションはしていて、いろんなことを予想していました。

それでも、予期せぬことは起こります

YouTubeなどで葬儀までの流れや予算など、ギリギリまで調べていました。

普段は頼れる夫も、喪主挨拶の緊張感や母を亡くした喪失感など非日常の中でまともに動けません。

今の葬儀は、あまり無理をさせないよういろいろと配慮があります。

挨拶も、省くこともできるということでした。

それを引き受けた、夫です。

本人が挨拶をしたいのだから、止めることはしません。

しかしそのこと(喪主の挨拶)により、相当な重圧がかかったようです。

初めての喪主挨拶
初めての喪主挨拶

緊張のため通夜は深酒、当日は極度の緊張ということで喪主挨拶も伝わらないままに終わってしまいました。

子どもたちが「お父さんの喪主挨拶、なんて言ったのかまったくわからなかった」と言われてしまいました。

そして何もかもが終わり、霊柩車に乗り込む時のことです。

喪主の夫が突然我に返り、私に「火葬場に行くか、行かないかを親戚に聞いてきて!」と言うのです。

みんなが故人を見送るその場面で、です。

そういうことは、事前に聞くべきでしょう。

それを聞いた私も慌てて何人かに声を掛けました。
当然ですが、親戚のみんなはあまりに突然過ぎて驚いていました。

他にも細々としたことはありましたが、このような予期せぬことが起きてしまうのが葬儀です。

初めての喪主 準備は早めに

喪主など一生のうちでそう何度もありませんが、葬儀の事前の準備はとても大事だと痛感しました。

今でも、私たちが気が付かないだけで失礼はなかったのかと気がかりなところは残っています

まだ若くあまりに突然な葬儀であれば、仕方がないところもあるかもしれません。

けれど高齢な肉親を看取る時は、このようなことになるのはわかっていることです。

辛い気持ちとは別に、愛する人だからこそ最期は静かに見送ってあげたかったです

それでも、私たちにできる精一杯のことはできたと思っています。

姑も天国で、ニコニコしながら満足げに見てくれていると思っています。

世代交代で、祖父母から親の代、親の代から私たちの代へと移っています。

これからはまだ先にはなりますが、子や孫へとバトンを渡していきます。

実家じまいに次いで、遺産相続のことなど。

夫は一人っ子で幸い相続においては問題なく済むことでも、私たちの子や孫となるとまた違ってきます。

いろいろと考えさせられた、姑の葬儀でした。