姑は、ずっと一人暮らしでした。
30年前には舅も旅立っていたので、夫の実家は空き家になりました。
私の実家の父も介護の末に脳梗塞に倒れ昨年他界し、母はガンを患っています。
「そう長くはないと」自分で言っています。
時代の流れでしょうか。
私が幼かった頃から今までに見てきたものは、時とともに背景も変わって来ています。
介護をしていて、ふと感じることがあります。
時代の流れについていける私たちと昔にこだわる親世代とでは、
考え方にかなりのギャップがあります。
生きてきた時代が違うので、仕方がないことです。
ここ最近起きた「世代交代」を通して、感じたことをまとめてみます。
もくじ
親が元気なうちは良いけれど…
私たち夫婦世代と、私の親世代とでは生きてきた時代が異なります。
昭和を生きた親たちは、人との付き合いや物を大事にします。
私たちも大事にするところの根本は同じなのですが
お金の掛け方が違うように思います。
親が元気なうちは、自分たちの好きなように使って良いのです。
しかし、長寿国である日本の介護の時間は長く、最後まで自分の意見を曲げずに言い続けるのが親です。
介護の時でも私たちの自由には物事が運んでいかないところが、もどかしくありました。
防げたはずの問題も、意見や考え方の相違でうまくいかないことがありました。
そのため、長い時間とたくさんのお金を費やしてしまいました。
守ったのだろうか・・・
この30年の間、舅が残した財産を譲らずに守ってきた姑の生き方を振り返ってみます。
当時の私たち夫婦はまだ若かったので、姑は”人生の先輩”として今はしっかりと持っておこうと思っていたのだと思います。
でも姑の生き方を振り返ると、これまでに少しでも相談してくれていたらなぁ…と思うことがたくさんあります。
姑のいなくなった今、通帳を見て悔やまれることが多いのです。
譲らなかった土地の活用
夫の実家は、広い敷地を保有していました。
舅の老後の楽しみで、田畑や草花、大きな木々に盆栽などたくさんの自然に囲まれて余生を過ごしていました。
舅亡き後に残されたのが、この広い庭(土地)でした。
県内でも、一等地と言われる場所にあります。
そのため、私たち夫婦からは「土地活用をした方が良いのでは?」とアドバイスをしました。
けれど、その話にまったく耳を貸さなかったのが姑です。
それからの30年間は、手入れをするにも”シルバー人材”など、剪定で毎年数万~数十万円という費用が掛かりました。
夫の実家は、そこまで裕福ではありません。
姑は、わずかな額の年金で暮らしていました。
姑の死後、通帳を見ると使い道がわかります。
貯金を切り崩して、暮らしていました。
舅が亡くなった頃の貯金は、普通にありました。
それからの30年間の通帳の履歴を見ました。
無計画で、行き当たりばったりのような使い方でした。
最後の方では認知症もあったので、理解できない出費も多数ありました。
少しでも相談してくれれば・・・という無念さが残ります。
お金の管理ができなくなる
姑は、アルツハイマー認知症でした。
それがわかったのは、亡くなる数年前です。
老後の資金は、”体力の衰え”とともに”家の改築”など、まるでその場しのぎのような計画性のない感じの使われ方がされていました。
バリアフリーなど、トータルでコーディネートすれば、費用は抑えられたと思います。
自分で買い物や通院ができなくなっていたのでタクシー移動や、安くで手に入る電化製品や日用品も買いに行けないので電話での注文が多く割高な買い物になっていました。
嫁の私としては、薄々と感じてはいたものの口出しするわけにもいきません。
それでも、過去に何度かは言ってみたことはありました。
でも姑は頑固で聞く耳がないこともよく知っていたので、途中から言うのを辞めました。
その後も認知症のためか、テレビを見ては通信販売などで注文し高級な食材などたびたび送ってきていました。
姑の楽しみだったのであれば、仕方がありません。
普段は食べられないような高級な食品を、私たちに分けてくれました。
子供に頼らない親たち
実家の両親もそうですが、親たちは子供に頼らないところがあります。
それはそれで、良いことだとは思います。
ただ、いつかは子供に頼らなくてはならない日が来るので、それならば早めに頼ってもらった方が良いのではないかと思います。
なぜならば、本当に動けなくなる頃に頼ってこられても、自分たちの仕事に影響が及ぶからです。
実際終末期に近づくごとに、仕事を休むことが増えていきます。
いずれお世話をしなければならないのなら、どうしようもなくなって一気に頼られるよりも、早めから少しずつ頼ってもらった方が負担が軽くて済んだのではと思っています。
結果として、そのようにして私たちを頼ってきた時には姑の貯金はもうあまり残っていませんでした。
「葬儀」や「実家じまい」もあるのに、わずかに残された遺産でどこまでできるのでしょう。
幸いにも「負」の遺産はありませんでしたが、姑の死後には多くの仕事が残されていました。
こうなるなら、早い頃から親子共に一つ一つの問題を解決したかったです。
そして、静かな最期を迎えたかったです。
年老いた親に思うこと
親というのは子供に助けを求めてくる最後まで、なんでも自分でできるつもりでいますし、実際に、何もかもを自分でやろうとします。
けれど「老い」というのは、突然にガクンとやってくるのです。
季節によっても体調は左右されますし、じわじわと物忘れも増えてきます。
親が、子供を頼りたくない気持ちも分かります。
自分がそうであれば、そうすると思います。
このような問題は、これからの老後の課題だと感じます。
老後は社会が見るのか?
これからの老後は、社会に頼った方が良いのでしょうか。
姑の最期は「慢性心不全」と「アルツハイマー認知症」でした。
日頃から口癖のように、私たちに世話になるくらいなら「老人施設に入居する」と言っていました。
しかし老人施設に入居しないまま、最後にはインフルエンザに罹り1ヶ月入院生活を送ることになりました。
その入院生活では、毎日のように「帰宅願望」で電話を掛けてきました。
病院も、あまりにも帰りたがるので早めの退院を促されました。
言葉では「世話にならない」と言いつつも、いざ自宅を離れると不安で寂しくて堪えきれなかった姑でした。
その後インフルエンザから、あれよあれよと体調を壊し弱っていきました。
結果的にそのまま天国に行ってしまいましたが、最後まで家に帰りたがっていました。
最後に家に帰る
姑の亡骸が、病院から斎場に運ばれる時に自宅に寄ってもらいました。
少しは、安心したようです。
夫もホッと胸を撫で下ろしました。
残る介護と自分たちの老後
私にはまだ、実家の母の看取りが待っています。
そして、これからは自分たちの老後も待っています。
今後どうすれば、みんなが幸せに過ごせるのかを考えます。
親がそうだったように、私たちの老後の時代も変わっていくのだと思います。
これからどうなるのか、本当によく考えなければならない問題です。
先日、90歳を過ぎた姑が天国に旅立ちました。