介護の果て~必ず訪れる愛する人との別れ~

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お別れの日が来る介護
お別れの日が来る介護

姑の認知症の介護が始まりました。

現状は「軽度」のようですが、ここ最近は加速度をあげて症状が進んでいることを感じます。
姑は90代です。

少し前からそのような症状はありましたが、年齢が年齢なだけに歳のせいだと思い深くも考えていなかったことをやや後悔しています。

もう少し早く気が付いていたらと思いますが、過去のことはもうどうにもならないのでこれからのことを考えつつ毎日を過ごしています。

私を「娘も同然」と、いつも可愛がってくれた優しい姑。認知症になった今も、言っていることはややおかしいこともありますが、そんな時でも明るく元気で前向きです。
自分の記憶が残っていないことに不安を覚えるということをいつも言っていますが、今が元気で、生きていてくれればそれでいいと思い、つかず離れずの距離で介護をさせていただいています。

今回は、

・介護を通じて思うこと
・長門裕之さんの本「待ってくれ、洋子」を読んで
・誰でも必ず訪れる別れ
・介護を通して今を生きる私

について書いています。

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介護を通じて思うこと

私は50代の主婦です。
20代で結婚をし、30代、40代は子育てに奔走し、やっと落ち着いてきて、そろそろ自分たち夫婦の老後のことなどを考え始める時期でした。

実家の両親とは、離れたところに嫁いだので、両親の面倒はすっかり兄弟任せにしていたところがあります。
といっても、両親はともに元気で介護を必要とするような状況でもありませんでした。

しかしある日のこと、実父の脳梗塞から徐々に私も少しずつ介護の世界へと一歩ずつ足を踏み入れることになりました。

実父は脳梗塞だったため、そのほとんどを病院で過ごしたこともあり、そう極端な負担が一気に訪れたわけではありませんでした。

私たち家族の介護の負担はなかったものの、その分関わりがないこともあり、晩年の父は寂しかったのではなかったかなと、他界した後で思いました。

父が他界して一度にいろんなことが起こりました。
まだ数か月も経ちませんが、父のことの方が心配で自分のことをおざなりにしていた母のガンが見つかりました。
悪性のガンで、全摘出の手術が早い段階で行われました。

気持ちに余裕があったら気づけた話かもしれませんが、母としてはそれどころではない毎日だったのでしょう。

父が他界するまでの2か月ほどは15分程度の面会が許されていて真夏の猛暑のなか、人工膝の足をかばうようにして杖をついて毎日見舞っていた母でした。

それと並行して姑のアルツハイマー認知症の診断が下されるという。

そのことがいっぺんに私の身に起きました。

気持ちの方が追いつきません。
ただ目の前にあるやるべきことをこなす毎日でした。

時々、一人になるとこれからのことで一気に不安が押し寄せます。
先の見えない不安。このまま訪れるのは愛する家族の「死」です。

これまでどれだけの思いで大切に育てて来てもらったか、そういうことを考えると今のこの流れは親との別れに向かっていることは紛れもない事実で、起き上がれないほどのどんよりとした気持ちにさせられるのでした。

長門裕之さんの本「待ってくれ、洋子」を読んで


落ち込むことも多い介護ですが、同時にやるべきことの手続きも必要になってきます。

これまで無縁だった「介護」についていろいろとネットや本屋さんなどを通じていろいろと調べていました。

 50代主婦 親の介護~重なる介護は、ある日突然…

心を支える読書

行政や各介護サービスにおいては、淡々とやっていましたが、自分の精神を支えるものとして

本屋さんで見かけたのが、「死者を弔うということ」

おしどり夫婦と言われた俳優の長門裕之さんと南田洋子さんの介護の話「待ってくれ、洋子」

です。

私は親の「死」に対してプロでもなんでもありません。

ただの娘であり、嫁でしかありません。

普通に生きていて、その人生の長さの分親も年を老いて「死」に向かって生きている。
そういうことを、止めるすべがあるわけでもなく、自分の親として、いつまでもいつまでも…と毎日、元気でいて欲しいと願ってやまない日々を過ごしています。

そうした時に支えられるのが読書です。

介護について調べていても無意識に自分に必要な情報をキャッチするようで、今回はこの2冊の本と出会いました。

どちらも「死」に向かう人々の考え方や過ごし方、捉え方などが書かれてあり、私の今後の関わり方や、自分の在り方を示す良い手本となりました。

誰でも必ず訪れる別れ


私たちは、永遠に同じであることなどありません。
そうした当たり前の事実を目の前にして、愛する人との別れをどう受け止めるのか。

人生の大きな課題であり、どう越えていくのか。
自分のことなのに、その時を迎えたら自分がどうなってしまうのか想像もつきません。

ひとことでいうと、とても怖いです。

でも、「死」とは、自然現象のひとつでしかありません。
そのことを自分のなかでどう受け入れていくのかのところが今の私に与えられた試練です。

介護を通して今を生きる私

子育ての時の未来は明るいものでした。
これからどんどんと成長し、私たち親にいろんな思い出を作ってくれる。そうした世界は希望でしかありませんでした。
夢もいっぱいで、大変なこともたくさんありましたが、それでも未来に向かって駆け上っていくという、そういうイメージで毎日が楽しかった日々でした。

しかし、介護ともなると、その先に明るい未来があるというイメージがどうしても湧きません。目先の病状や、認知の症状の軽減など期待をする時もありますが、たとえそうした希望がかなえられたにしても、やはり行き着く先は「親の死」です。

ですが、親との別れは誰もがみんな経験することで避けては通れません。

「死」の先に何が待っているのか。

会いたいと思った時に、会いたい人がこの世にいないという悲しみ。

心の中で生きてくれるということは分かってはいますが、でもやはり現実は辛いものが待っています。

そのような時、認知症状のある姑を見た時に、半分は天国に旅立った人たちが会話の中で時々現れますので、もしかしたら、天国というのは本当にあって、亡くなってもなおまだ生き続けている世界があるのかもしれないと思わずにはいられません。

なにをバカなことをと思われるかもしれませんが、死後にそのような世界はないと誰が断言できるのでしょう。

「死」の世界をくぐる愛する人。

そうした弔いの日が近づく家族を今、どう見送ってあげられるのか。

そうしたことを考え続ける毎日です。