高齢者の美容・花を愛でる~介護中でもおしゃれ~

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高齢者の美容
高齢者の美容

本格的に姑の介護をするようになってやがて半年ほどになります。

一人暮らしの姑は元気の良い人でした。

80歳後半頃から、会話中に変だなと思うことが増え始め、90歳過ぎた今年の秋に病院を受診し「アルツハイマー認知症」(以下、認知症と略します)の診断を受けました。

最初の頃は、姑の介護環境を整えることに奔走して私自身も人生初めての経験ばかりで無我夢中の毎日を過ごしていました。

しかしこの数日は、介護認定も決まり、ケアマネージャーさんの助けもあって落ち着いてきたのでこれを機にまとめてみます。

今回は、軽度の認知症の姑の気持ちを中心にして「彼女の気持ち」を軸に、介護を見ていこうと思います。

姑と話しをしていると「美意識」の高い人だと感じます。

認知症で自分にブレーキを掛けていることが多いようで、その話を聞いていると「介護×美容」を思います。

介護する私の方も自分の身なりにかまっている暇がない時があります。

余裕のない私
余裕のない私

最初は私自身のケアが必要だと思っていましたが、ここ最近は、お世話されている姑の「美」ということも大切なのだと痛感しています。

内容は…

・行動にブレーキを掛ける姑・臆病にも億劫にもなる外出
・引きこもることで負のループ
・話しをしていて・・・
・花を愛する姑の行動
・自分を飾る
・いつまで経っても女性は女性

について書いています。介護中の方の何かの気づきになりましたら幸いです。

わが家のお話を…

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行動にブレーキを掛ける姑

私が結婚したての頃、姑はいつも華やかで品のある洋服を身にまとっていました。

主に紫色を基調にした服を好んで着ていました。

姑の実家は地元でも大きな靴屋さんでした。

お手伝いさんもいたという裕福な育ちです。
裁縫もでき、普段着る洋服はほぼ手作り。。スーツやコートなども作る本当のプロです。

お客様も会社経営の社長の奥様や自治医大附属病院の近所に住んでいたこともありお医者様の奥様からどんどんクチコミで広がりずいぶん家計が助かったと言います。

育ちの良さや気品はその動きや身なりから漂っています。

そんな姑の認知症をいちばんに感じたのは、この身なりです。介護予防のためにすでに「要支援」の認定を受けていたこともありデイサービスに行っていました。

最初の数年間はなんの問題もなく過ごしていましたが、最後の方ではデイサービスのお迎えの時に準備ができていなくて、夏の暑さもあったのかもしれませんが、上はキャミソールに下はユニクロの「リラコ」というラフな格好です。

迎えに来たものの行こうとしないという連絡を受けてかけつけたところ、まずその格好に驚きました。その後もお迎えのスタッフにも失礼な態度で見違えてしまいました。これを機にハッキリと姑がおかしいと思い、主治医の指示に従って認知症外来を受診するのですが、結果はその通りでした。

しばらくはあまりのショックに私自身が寝込んでしまうほどでしたが、そうはいっても時間は過ぎます。立ち直るまでに少々の時間は要りましたが、現実を受け止めて一緒に乗り越える決意をしました。

そこからネットや本などで勉強しました。主治医とも相談しながら、地域包括支援センターの方からのアドバイスやら、多方面から。私自身もサポートされていると思います。

その体制が出来上がるまでにやはり半年は必要だったように思います。

というのも、家族が「認知症かも」と気づくのにも時間が掛かりますし、そこから受診となってもすぐに予約が取れるなら良いのですが、昨今は予約が取りにくくなって待たされることも多いです。そしてその診断が下りても今度は、介護保険の認定のために審査があります。その審査やその結果までにも時間がいります。


介護認定を受けても、そこからいろんなサービスの選定や顔合わせや、ケアプランの作成など、地域やその人によっても多少違いはあるかと思いますけれど、それでもやはり時間は掛かります。

その間に認知症は進んでいきます。


姑も、少しは自分のおかしさに気が付いています。
聞かれても思い返せない記憶というものがありますので、本人も首をかしげます。そうこうしているうちに姑の外出が極端に減っていくのでした。
後から分かることですが、自分の行動に自信をなくしていたようです。

臆病にも億劫にもなる外出

花の好きな人で、庭の花壇をいつも綺麗にしていました。

花壇
花壇

季節ごとに花を植え替えて手入れをすることが当たり前でした。

それがある日をさかいにぱたりとその花たちに興味を持たなくなり、しまいには枯らしてしまうのです。とてもショックなできごとでした。

出会ったころから姑は花を愛する人で、近所の人もその美しさに足を止め、それをきっかけに話しに花が咲くという感じです。


ふり返ると、本人も自分の異変にショックを感じていた頃だと思います。

自分の身に何かが起きていて、私たち家族に迷惑が掛かるかと思うとこの先が恐くてしょうがないと言います。

そのためせめて体だけは健康でいようとして、ケガもなにもしないよう自分の外出を無意識のうちに制限していたところがあるようです。

しかしそうなると気持ちも塞いでくる悪循環になります。


私は一日も早い介護サポート体制が整うのを祈りつつ、毎日姑のもとへ足を運んでいました。

引きこもることで負のループ

介護サービスが整うまでの時間、普通に月日は過ぎますが、姑の認知症は待ってくれるのか不安な日々を過ごします。

認知症は完治することはないようです。
それでも進行を止めることや遅らせることはできることを知り、なるべく進行しないよう願っていました。

認知症の医師からも薬物療法も悪くはないのですが、まだ軽度でもあることもあり、適度な運動、楽しい時間を過ごすこと、栄養面などすすめられます。

それらにもっとも効果的なことはやはり外に出て誰かと話すこと。

もっと言えば安心安全の場所で、専門家のもとゆったりとした時間を過ごす。お風呂にも入れて、美味しい食事もできるデイサービスをいちばん推奨されました。

しかしそのデイサービスを受けたくてもいろんな手続きを踏んでからでないとすぐにとはいけません。

自費ということもできましたが、こちらも姑の担当の方からアドバイスもあり少し待つことになっていました。

待っている時間は姑とお世話と談笑の時間に多くを使っていました。
その談笑の中から気が付いたことがたくさんあります。

最初の頃は落ち込んでいた私ですし、家族のみんなもそうで、何より本人も落ち込んでいます。

私がどれだけ盛り上げようにも閉鎖的な空間ではずっと負のループから抜け出せません。

話しをしていて・・・

ある日のこと、姑の指先に可愛らしいお花のネイルがしてあることに気が付きました。

小さな可愛らしい赤いお花の柄のネイルです。話しを聞くと、ご近所の友達が姑の指先にしてくれたそうです。

ネイル
ネイル

その時の姑は、身なりにもうほとんど興味もなくなっていて、おしゃれをするなんてことはもう過去の話になっていました。


そして、私も同じようにそこまで気持ちが及んでいなくて日々をどう乗り切るかということまでに気持ちが追い込まれていたようにも思います。


このネイルが私たちに希望の光となります。我が家に訪れる人や医療機関の出先など、いろんなところから「可愛いですね」と声を掛けられるようになりました。


その度に顔がほころびます。


いちばん嬉しかったのは、認知症外来の先生が褒めてくれたことです。姑もまんざらではない表情を見せます。

私たちがすっかり忘れてしまっていたことでした。

花を愛する姑の行動

そういう話をしている時に、姑の家の仏壇に飾ってあるお花が枯れていることに気が付きました。

それを見たらまた悲しい気持ちになり、こうした切花が枯れてもそのままにしてしまうようになってしまったと心の中で思っていたのですが、話しを聞いてみると意外な返事がきました。

「枯れているのは気づいていたのだけれど、これを捨ててしまうと次に飾る花がないのよ…」と言いました。

姑はお金の管理はできなくなっていたので、お金を預かっているのは私たちで、日々の支払いや買い物などは私たちが要望を聞いて買ってきていました。


「花も最近は高いでしょうから…」という話でした。その話に続けて、お年寄りになるとみんな身なりにかまわなくなるから、あまりそういう場所に行きたい気持ちがなくなるのよ…という話しもしてくれました。

それも自分の指のネイルを見ながら。

私は、あーなるほどそういうことかと思いました。
姑は、おしゃれをする気持ちはあるのです。
それを体の変化のこと、それにより自信を無くしていたことなどいろんなことがあって、本当の自分を出せなくなってしまっているということが分かりました。

高齢者のメークで、塗ったことを忘れて何度も何度も化粧品を重ねてしまい、濃いメークになっている人のことも知っている姑。

私のこれまでの美容感覚で合っているのか、本当はおかしいのに人は気を使って傷つかないようにして言わないのではないか…など、つまり「自信がない」というのです。

自分を飾る

私はこの話しをしながら、この話しの少し前に、姑が縁側に座り、いつもは眺めなくなってしまっていた花を見ていたことを思い出していました。

薔薇の花
薔薇の花

その時も花の話しをしていました。伸びてしまった草の話しも。

久しぶりに姑が庭を眺め、花を愛でる姿を見ました。

もしかしたら、姑はいろんなことに「あきらめてしまったのかもしれない」という思いが湧きおこりました。

何もしない方がリスクは少ないかもしれません。けれどそれだと生きることがつまらないのではないのか。

そういう風に感じたので「お花を買いに行きましょう」「そしてもっと綺麗にしましょう。家の中もお義母さんも…」というと笑っていました。

いつまで経っても女性は、女性

こういう他愛もない日常の中から高齢者の話しをゆっくりじっくりと時間を掛けて聞いてあげると思わぬ本音を聞くことができます。


今回の仏壇の枯れてしまったお花も私が尋ねなければ「枯らした花がそのまま」としか思わなかったでしょう。

こんな風にしてもう何もかもわからなくなってしまうんだと悲観的になっていたかもしれません。

でももしかしたら美しい花たちが私たちに教えてくれたのかもしれません。

縁側でながめる美しい花を見なければ気づかなかったこと。

そこに私がいたこと。それを愛おしそうに見る姑の姿。

指のネイルを見ながら、歳を取ると身なりにかまわなく人が多くなるからあまりそういう場所に行きたくないのよね…と何気なくつぶやく姑。

そうした性格を知っていたから近所の友人は姑にネイルをしてくれたのだとその時に気が付きました。

高齢者になってもいつまでもおしゃれをしたいし、綺麗でありたいのは当然の願いなのです。

活動することに制限をかけたり、そこまで気づけなかった自分の余裕のなさも、私たちの周りで何も言わずに静かに応援してくれている人のおかげで回復したように思います。

急な身体の変化とそれに伴う生活環境の変化。
その渦に飲まれていた私たちも少しずつやっと余裕という気持ちが出始めたのでした。

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